アニメソング(アニソン)の歴史を紐解いてみよう!

アニソンの歴史について細かく紐解いていこうかと思います。

影山ヒロノブ

 影山 ヒロノブは日本のアニメソング好きなら知らない人は居ないほど有名なアーティストです。作曲や編曲などを手がけているだけでなく、レイジー時代においてはバンド活動も果敢におこなっていました。また、影ちゃんやほかにJAM Projectのメンバーとしての長老という愛称で呼ばれており、さらには、「アニソン界のプリンス」の異名を持っています。

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略歴

 大阪市立南田辺小学校、大阪市立田辺中学校、明治大学付属中野高等学校定時制卒業(大阪府立大和川高等学校(現・大阪府教育センター附属高等学校)から編入)。実家は理髪店です。16歳のときに小・中学校の同級生だった高崎晃らとバンド・レイジーを結成(ヴォーカル担当)。朝日放送「ハロー・ヤング」に出演、司会のかまやつひろしに認められてバンド全員で上京し、1977年に和製ベイ・シティ・ローラーズの触れ込みでプロデビューします(当時は本名の景山浩宣の名義で活動。愛称はミッシェル)。ヒット曲『赤頭巾ちゃん御用心』を出すものの1981年5月にレイジーが解散し、同年10月、現在の芸名で徳間音楽工業からソロデビューしました。当時注目度はそれほど高くはなかったものの、国民的人気番組『8時だョ!全員集合』の歌ゲストに出演したこともあります。

 1985年に日本コロムビアに移籍した際、「KAGE」名義にて、『電撃戦隊チェンジマン』の主題歌を歌ったことがきっかけで、オリジナル作品以外にアニメ・特撮の主題歌も歌うようになる。アニメソングの歌い手としてはどちらかと言えば遅い出発だったが、1989年に歌ったアニメ『ドラゴンボールZ』のオープニング曲「CHA-LA HEAD-CHA-LA」で170万枚のセールスを記録、1991年の『鳥人戦隊ジェットマン』ではゴールドディスク大賞「アルバム賞学芸部門」を受賞するなど、一気にその知名度を高めた。なお、同時期に発表したオリジナルシングル「好き好き好き」も40万枚以上のセールスを記録している。名実とともに水木一郎、ささきいさお、子門真人らと並んでアニソンの第一人者となったのです。後にレイジーメンバーの井上俊次が設立したレコード会社ランティスへ移籍(専属ではない)、JAM Projectのリーダーとして活躍しています。

豆知識

 本名が「影山」ではなく「景山」であることを本人も不思議に思っていた時期があり、実父に尋ねると「島根辺りにルーツがあるんじゃないか?」と返答された(これ自体の真相は不明)。実際に島根を訪れて「景山」の表札の多さに驚いたほか、現地周辺でのライブで冗談混じりに聞いたところ、観客の中で数人「景山」を姓に持つ人が見つかったという(2010年1月2日のジャスコ・イオン日吉津店ライブにて本人が発言)。

 小学校のとき、ボーイスカウトに参加し、リーダーを務めていました。また、同じボーイスカウトのサブリーダーを務めていたのが後にラウドネスのベイシストとなる山下昌良であったそうです。

 スーパー戦隊シリーズでは『電撃戦隊チェンジマン』(KAGE名義)、『光戦隊マスクマン』、『鳥人戦隊ジェットマン』の3作品で主題歌を担当しており、メイン側の参加ではMoJoと並んで歴代最多タイとなる(コーラスとしては、こおろぎ'73が多数の作品に参加していた)。エンディング曲はこの3作品に『忍風戦隊ハリケンジャー』を加えた計4作品で担当しており、こちらは単独トップです。東映の3大特撮シリーズでは、他にメタルヒーローシリーズで『テツワン探偵ロボタック』の主題歌を担当しました。作曲に使用している音楽ソフトはMacのDigital PerformerおよびPro Toolsを使っているらしいです。

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最近の活躍

 最近では子供向けのソーシャルゲームモンスターストライクの主題歌を影山ヒロノブが歌っておりました。これは、ドラゴンボール世代の人にとっても、大きなサプライズであったようで、非常に良い印象を与えていたという話を聞きました。最近ではゲームソングなどにも数多く登場しているため、今後の展開が期待できそうですね。

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