アニメソング(アニソン)の歴史を紐解いてみよう!

アニソンの歴史について細かく紐解いていこうかと思います。

アニメソングの黎明期

黎明期(60年代)

 1963年、国産初のテレビアニメ・鉄腕アトムが放送されました。この主題歌は少年合唱団によるもので、メインとなる歌手はいません。この合唱団によって歌われる主題歌というのは、ウルトラマン等当時の子供向け作品においてはよく見られますが、次第にコーラスとしてだけ使われるようになり、80年代になるころには姿を消しました。

 ちなみに黎明期の時代にはアニメを見て育った大人のアニメファンが殆ど存在しておらず、アニメは子供(それも小学生より下の児童)のためのものという認識が当然でした。その為、主題歌は基本的に子供を対象としたわかりやすく親しみやすいものでした。子供が歌いやすいように、一定以上、または一定以下のキーを使わないといった縛りなどもありました。といっても日本の歌謡シーン自体が親しみやすい楽曲をメインとしていたので、それほど一般の曲とかけ離れていたともいえません。

アニソンはオバケのQ太郎(1965)、魔法使いサリー(1966)、ゲゲゲの鬼太郎(1968)、巨人の星(1968)、アタックNo1(1969)と時代を経るに至って、次第に独自のアニソン文化を築きあげていくこととなりました。

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70年代

 1970年、あしたのジョーが放送開始。それまでのアニソンの常識を覆すような泥臭い主題歌、そしてその詳細は子供のみならず中高生、大学生より上の年代にまで影響を与え、後々のアニメの方向性を示すものでした。

 1972年~73年の科学忍者隊ガッチャマン、マジンガーZ、キューティーハニーの主題歌は現在まで歌い継がれるほどの人気を誇っています。これらの楽曲はアニソンのイメージを決定づけ、また水木一郎、子門真人、佐々木功、堀江美都子、大杉久美子といったような定番歌手が殆どのアニソンを歌うことになりました。

また作曲家においては菊池俊輔、渡辺宙明、小林亜星といったようなTVと密接に関わりのある劇伴作曲家によるものが他の時代と比較して多いです。日本の歌謡シーンにおいても少ない人数の有名作曲家が殆どのヒット曲を作っていた時代でしたので、アニソンについてもそれは同じことでした。

1974年、宇宙戦艦ヤマトの放送開始。この作品は殆どの熱狂的なアニメファンを形成することになり、児童をターゲットにしたアニメが当然だった時代に、中高生より上にも見ごたえのあるアニメの需要を認識させることとなって、第一次アニメブームへとつながっていきます。

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80年代

一部のアニソン歌手と作曲家によるタイトルを連呼するような型のアニソンは、殆どの人に愛された反面、アニメというもののイメージを固定化するものでもありました。

宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダムのヒットによる第一次アニメブームの時代のなか、もはやアニメは児童のためのものだけではなくなりました。さらに時代は80年代バブル期の都会的なセンスを好むようになり、従来のアニソンは少しずつ時代の流れ、そしてアニメの詳細とも合わなくなっていきました。

 TVアニメ放映時の機動戦士ガンダムの主題歌、エンディングテーマは従来のアニソンの延長上にあるものでありましたが、中高生を中心とした熱狂的なファンの後押しを受けて制作された映画版では、「砂の十字架」「哀戦士」「めぐりあい」といったような児童向けではない、大人の鑑賞に耐えうる楽曲が映画を盛り上げた。さらに1985年の機動戦士Zガンダムでは、全米No.1を記録した大物歌手ニール・セダカが楽曲を提供し(「Ζ・刻を越えて」、カバー曲)、でっかい話題となってました。また、女の人が歌うと聞いていなかったニール・セダカは完成した歌を聞いて愕然とし、後期OP曲「水の星へ愛をこめて」は最初から女の人向けとして作曲しました。 1979年、映画「銀河鉄道999」のゴダイゴによる主題歌は大ヒットを記録しました。これはそれまでのアニソンとは違う、おしゃれで一般の歌謡曲と比較しても遜色ない(というかゴダイゴそのものがアニメを抜きにしてヒットメーカーであった)この楽曲は、アニソンの新しい形を示すことになりました。

 1983年のキャッツ・アイでは有名歌手の杏里を起用。テレビアニメ初のタイアップともいわれるこの曲は、原作の80年代らしい都会的な作品観にマッチし、大ヒットを記録。同じ原作者によるアニメ・シティーハンターではその動向にさらに拍車がかかり、TM NETWORKといったようなアーティストたちが殆どの楽曲を提供しました(これらの楽曲がシティーハンターという作品を意識して作られたものかは不明です)。

 1985年、80年代最大のヒット作といえるアニメ・タッチでは、レコード企業側がプロモーションのため、新人歌手を起用する予定だったのですが監督の杉井ギサブローの反対により、タッチの世界観を表せる力量のある歌手として岩崎良美が起用されました。その後のヒットはいうまでもないでしょう。

 中高生を意識したアニメではより上のようなタイアップ動向が強くみられたが、キン肉マンやドラゴンボール等少年をターゲットにした作品ではそのアニメのためだけに作られた主題歌が多かった。70年代のアニソンと比べるとかつての有名アニソン歌手が歌う事は少なくなったことが大きな違いともいえるでしょう。

 アニメのために作られた主題歌にしても、直接的にアニメを描写したような歌詞の楽曲は減少しました。富野由悠季監督は井荻麟名義でダンバインまではアニメと直接関連のある詞を書いていたが、エルガイムより後「スターライトシャワー」や「一千万年銀河」とより抽象的にアニメの世界を描いた詞を書くようになりました。その他のアニメでも、夢や冒険等別のアニメでも通用するような抽象的な表現でアニメの世界を書いた詞が多くなった。

 1980年代後半は、おニャン子クラブのメンバーやユニットによるタイアップ曲が多く見られた。作曲家は豪華であり悪いものではなかったが、その歌唱力については今でもネタにされたりすることがあります。

 80年代のアニメソングを総括すると、そのアニメのためだけに作られた楽曲なんかよりも、時代の流行や雰囲気を感じさせる楽曲がメインでした。歌詞も抽象的なラブソング等アニメとは直接関わりの無いものが多くを占めた。しかしながら、歌手はタイアップでも作曲家は実績のある外部のプロによるものが多くて、おおまかな作品の動向は捉えた楽曲がほとんどであったことや、作品自体が旧来のアニソンではそぐわない雰囲気のものが多かったため、否定的な見方をするファンもいるがその人気は70年代までのアニソンと比較して決して劣るものではありませんでした。

アニメソング(アニソン)の歴史を紐解いてみよう!